区議会議場における国旗の掲揚についての反対討論/2015年12月11日/有馬豊
私は、日本共産党練馬区議団を代表し、区議会議場に国旗の掲揚を求める陳情第35号と第41号に反対し、区議会議場に国旗を掲揚することに反対する陳情第36号、37号に賛成の立場から討論を行います。
理由の第1は、そもそも「日の丸」が国旗としてふさわしくないと考えるからです。
1999年に国旗国歌法が成立し「日の丸」が国旗として決まったとはいえ、法制化は国が公の行事で使うこと、また法的根拠を明らかにしたにすぎず、法制化当時の小渕首相は「押し付けない」と答弁し、野中官房長官当時も「法制化によって一人ひとりの考え方を変えようとは思わない」と言明した通りです。また、その決め方も、自民党を含めた当時のいくつかの政党により国会の数の力でごり押ししたものです。
本来、国旗や国歌を決めるのであれば、時間をかけ国民的な議論を通じて国民全体の合意をもって行われるべきものです。
「日の丸」は、その歴史を遡れば西暦701年の「大宝律令(たいほうりつりょう)」の時代にまで行き着き、国旗としては1870年、太政官(だじょうかん)布告で陸海軍が掲げる国旗として定めたのが最初で古くからの歴史があります。しかし、太平洋戦争中、侵略戦争のシンボルとなってきたことから、国民の中に拒絶反応を持つ人たちが多数いて、現在でも国民的合意があるとはとても言えなく、ましてや古い歴史があるからと、侵略の歴史が免罪されるわけではありません。
外国でも、日本同様、第2次世界大戦の侵略国であったドイツ、イタリアでは、大戦当時と同じ旗を国旗としていません。それは侵略戦争への真摯な反省があるからであり、日本も侵略によって犠牲、被害を与えたアジアの国々のことを考えれば、「日の丸」を国旗とすることはやめるべきと考えることは当然のことです。
ところが今回の議論の中で、「侵略戦争の旗印となった歴史を些末なことだ」と論じた発言は、過去の侵略戦争によって生み出された多くの犠牲者に対するまさに冒とくであり、絶対に許されるものではありません。
第2は、「日の丸」を区議会議場に掲揚することはなじまないからです。
もともと区議会議場は、区民のために様々な立場から意見を交わし、議論する場であり、中立公正なあり方が求められるのは当然のことです。「日の丸」を国旗にすることについては、区議会でも区民の中でも意見が二分する問題であり、国旗を掲揚することは一方の意見だけを取り入れることとなり、なじみません。それを議会の数の力で決めてしまうことは、まさに押しつけです。本来、国旗や国歌、国を愛することは自然な感情から醸成されるものであり、「法律で決まったものだ」とか「自分の国を愛するのは当たり前だ」などと強制されるべきものでなく、「思想・良心の自由」や「信教の自由」を定めた憲法の立場から見ても相容れないものです。
第3は、今回の陳情審議のあり方の問題です。
12月8日の議会運営委員会では、挙手しているのに1度も発言していない委員もいるなど、議論が尽くされたとは言えない状況で、委員長会派が「質疑・討論終結の動議」を出し、一方的に質疑を打ち切りました。さらに、副委員長会派からは継続審議の求めがありましたが、これまでの継続優先という慣例も無視して採決を強行したのです。しかもこの時、同時に出された休憩動議も採用せず、継続を求めた会派が退場した後に呼び戻さないまま、副委員長が不在で採決をするという異常な議会運営でした。
このような非民主的なやり方は、言論の府である議会の品位を汚し、区民の信頼を損ないかねないと言わざるを得ません。直ちに陳情審議をやり直すよう強く求め、日本共産党練馬区議団を代表しての討論を終わります。